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フリースタイルダンジョンにて日本語ラップ、主にマイクバトルですが、盛り上がりをみせつつありますね。
もともとスカパーでやっていたBAZOOKA(バズーカ)で高校生ラップ選手権で盛り上がっていたラップバトルに目をつけたサイバーエージェントの藤田さんが自分の会社スポンサーでラップバトル番組を始めて当たったというところでしょうか。
サイバーエージェントの藤田さんはその昔、くりーむしちゅーの有田さんとZEEBRAがMCでやっていたシュガーヒルストリートと言う番組をスポンサードするなど日本語ラップ好きで知られています。
私も日本語ラップに限らず、洋も和もケツの座りの悪いことは言わないで、両方、つまりHIPHOP好きなのでせっかく盛り上がりだしている日本語ラップあやかるために、HIPHOPのエンターテイメントの一側面でもあるBEFFについて思い起こしたいと思います。
これから私の印象に残っている日本のHIPHOP業界のBEEFについてまとめていきます。
BEEFとは
まずはHIPHOP特有の文化であるBEEF(ビーフ)とはどういうことかを説明します。
BEEFとは基本的にはラッパー同士の対立を指します。
基本的にはラップで言い争い(喧嘩)をしますが、エスカレートするとフィジカルアタックに繋がることもあります。
喧嘩なので。
実際にUSでの2pacとビギーのHIPHOP東西抗争はあまりにも有名ですね。
両名とも亡くなるという悲しい結末を迎えています。
犯人はまだ捕まっていません。
せっかくHIPHOPにはMCバトルという文化があるのでラップで決着をつけてほしいものです。
ちなみに2pacが死んだ次の日に元KAT-TUNの田中聖さんは1日中泣いていたそうです。
田中聖さんは1985年産まれで2pacが死んだのが1996年なので、田中聖さんは11歳の頃に2pacが死んで1日中泣いていたということになります。
流石、ませた小学生ですね。
BEEFの語源について
なぜBEEFという言葉がラッパー同士の対立や喧嘩のことを指すようになったかというと、それは1984年にUSで放送されたウェンディーズのCMが発端と言われています。
このCMではウェンディーズの方が他社のチェーン(マクドナルド等)より牛肉のパティが多いことを思わすために「Where's the beef?」といって他社チェーン店をDisったというのが内容なのですが、このbeefというのが語源となっています。
この言葉は当時USでその年の流行語となったそうです。
日本語ラップの歴史について
日本語ラップの始祖はいとうせいこうさんということになっていますが、私の世代で初めてのラップとして馴染みがあるのはEAST END×YURIの『DA.YO.NE』じゃないでしょうか。
当時の私は小さかったですが、学校でも大流行りしていたのを覚えています。
そして、しばらくは日本語ラップはなりを潜め、Dragon Ashで一般層に市民権を得だしたという記憶があります。
それまでも伝説のさんぴんキャンプなど、HIPHOP好きの人たちの間で話題はありましたが、少なくとも私と同じ学校、学年の間でHIPHOPの話題になることはまったくありませんでした。
それが、Dragon Ashで一般層にも大うけし、ヒットチャートを賑わすこととなりました。
ここで私の中で印象的な一発目の日本語ラップBEEFが行われました。
元々、Dragon Ashの降谷建志さんはZEEBRAをリスペクトしていて、一緒にGrateful daysなどの楽曲をやっていたのですが、Dragon Ashがリリースした『Summer Tribe』での降谷建志さんのフローや声がZEEBRAにあまりに似すぎていて、HIPHOP関係者に批判され出し、ついにはZEEBRA本人がDISるというBEEFに発展しました。
実際の歌詞の内容が下記です。
せいぜいスキル磨きなめいめい 覚悟決めんのはおめえだ kj
臭え金魚のふん?用はねぇ おめえのGrateful Daysも今日まで
この先は通さねえぜフェイク野郎 この俺が自ら手ぇ下そう
声パクリ そしてフローぱくり ステージでの振る舞いも超パクリ
まるでモノマネ歌合戦 親子で出にゃつまらんぜ
こちらの歌はZEEBRAが所属していたキングギドラの『公開処刑』という曲で、内容は曲名通りまさに公開処刑です。
歌詞の中にはっきりとKJと降谷建志さんのイニシャルが名指しで入っているので衝撃だったことを覚えています。
通常のBEEFはDisられたら、アンサーソングというものをだして、自分の正当性等、言いたいことを主張するのですが、この件に関して降谷さんはアンサーソングは出しませんでした。
フローや声が似てしまったのもZEEBRAをリスペクトしていたからだとコメントしていました。
この後Dragon Ashはラップはやらずにロック寄りのミクスチャーバンドへと方向転換していきます。
日本語ラップが失われた5年
Dragon Ashは日本語ラップ業界の中でも稀有な存在だったかと思います。
当時HIPHOPはアングラ感があり、好きな人は好きといった音楽だったのですが、降谷建志さんのルックスやファッション性などで一気に大衆の心理をつかむことが出来たのです。
要するにアイドル的人気があったわけですね。
このZEEBRAのDisがなく、Dragon AshがHIPHOP業界の人ともっとガッツリ組んでやっていれば日本語ラップももう少し早く一般層に浸透し、シーンも成熟していたったのではないかと感じるのです。
当時はZEEBRAのDisを聴いて、ラップっておもしれー!!リアルな音楽だ!と呑気に思っていましたが、真に日本語ラップのシーンの事を考えるのであればHIPHOP業界期待の新星であったDragon Ashを『公開処刑』したことは日本語ラップ業界にとってはマイナスの出来事だったのではないかと感じます。
5年は日本語ラップが停滞するきっかけになったでしょう。
そもそもフローや声が似てるっていってもZEEBRAの声やフローもDMXに似てますしね!
ただ、BEEFが起きることによって当時の私のように衝撃を受けラップの面白さに傾倒していく人がいるのも事実。
BEEFはラップとは切っても切り離せないエンターテイメント的側面があります。
当時のZEEBRAは日本語ラップ業界が盛り上がる事を期待して『公開処刑』でKJをDisったのであれば、それはそれでやり手だったと思います。
ただその場合はKJにアンサーを出させるべきでした。
これでKJがアンサーを出してラップ(楽曲)でバトルをしていれば更に日本語ラップは盛り上がったのではと思います。
しかし実際にBEEFのプロレスを行うのであれば、盛り上げる為にZEEBRAからKJに、『アンサー出せよ』と言うはずですからね。
ZEEBRAのDisにKJは沈黙し、ひいてはDragon Ashの音楽性まで転換してしまったのですから、やはりこの出来事はリアルだったと思わざるを得ません。
以外と長くなったので・・・
日本語ラップのBEEFの歴史について書いていこうと思ったら以外と長くなってしまったので、私が最も衝撃を受けたBEEFなども含めて次回に回したいと思います。