シン・エヴァンゲリオン映画を見てきました。
リアルタイムで放送していた頃からの筋金入りのエヴァファンですが、流石にこれがラストとも言うと感慨深いものがありました。
エヴァと言えば難解な単語に複雑な設定で、見終えた後には考察が付き物です。
今回も様々な方が考察しています。
ここではそんなネット上で考察されている内容の中で私も納得感があった考察を参考とすると共に、エヴァの謎について自分なりの結論を出したいと思っています。
ここから以下はネタバレの内容含みますので、まだ映画を鑑賞していない方は戻るボタンを押して、本ページから離脱してもらえればと思います。
マリとは結局何だったのか?
私はマリは使徒または人ではなく使徒に近い何かだったと思っています。
主に以下の理由からです。
・2号機パイロットではないのにエヴァを操縦できた
⇒カオル君と同じように使徒だから操縦できたのではないでしょうか。
・シン・エヴァのラストシーンでDSSチョーカーを外せた
⇒こちらもカオル君同様使徒だから外せたのではないか。ただチョーカーを外す場面であるラストでは、世界が変わっているのでチョーカーを外せることにあまり意味はないかもしれないです。チョーカーを外したこと自体はシンジをエヴァの呪縛から解放してあげたメタなど色々な意味はあると思います。
・人間のことを指す「リリン」という言葉を多用していたり、「使徒もどきのくせにしゃらくせえ」などといった発言
⇒マリ自身が使徒だとしたら意味の通じるセリフとなるのではないでしょうか。
・「爆薬が多くなってる。信用されていないのね私たち」というアスカの発言
⇒私たちということでアスカとマリが信用されていないととれるような発言にみえる。信用されていない理由はアスカは第9使徒に浸食されており、使徒化できるからと推察される。ではマリはなぜ信用されていないのか?マリも使徒化できるから。というか、使徒だからと考えるのが自然ではないでしょうか。
・マリは世界中の本を読みたいと言うなど、知恵を欲している。
⇒エヴァの設定を考えると生命の実を与えられたのが使徒。知恵の実を与えられたのは人間(リリン)。そう考えると使徒であるマリが知恵を欲しているのは自然。
・「イスカリオテのマリア」という冬月の発言
⇒聖書ではイスカリオテのユダは裏切者であり、使徒でもある。マリも使徒なのに人間側についた裏切者ということでイスカリオテのマリアという発言につながるのではないでしょうか。
マリの正体の考察の最後に、マリが使徒か?とは関係ない考察ですが、なるほどなーと思った考察があったので紹介します。
劇場版を作成するにあたり、庵野監督はエヴァを壊すために新キャラを作る必要があったと言っていたので、序からの新劇場版ではマリが登場することになりました。
マリは庵野監督の奥さんの安野モヨコさんのメタであるとも言われていますが、それももちろんあると思いますが、庵野監督が好きな宗教オマージュとも考えて、旧劇を旧約聖書、新劇を新約聖書とするならば、マリは旧来のエヴァという世界を裏切るイスカリオテのユダであると同時にシンで新しい世界へと旅立つシンジを見届けるマグダラのマリアという役割を果たしていたと考えることができるのではないでしょうか。この考察はYOUTUBEで見ましたが私もまさにその通りかと思いました。
そしてユイの代わりにシンジの母親役(マリア(シンジをキリストとするならば))でもあったのだと思います。
マリはユイからもらった眼鏡をずっとしており、ユイの眼鏡(目)からシンジを見続けているマリは母親の代役ともとれるかと思います。
なのでシンジとマリのカップリングには懐疑的です。
マリはシンジのことをワンコくん、アスカのことを姫と呼んでいます。
ここを考察するとワンコは王(ワン)子(こ)、その王子とくっつく姫。
王の読み方がワンという中国語読みなのは、マリが中国語もできるという設定からきています。
シン・エヴァ劇中でもマリが「再見!」と不自然に中国語を使うシーンがあります。
これはワンコのワンを中国語にすると・・・王という暗示ではなかったのでしょうか。
その王子(ワンコ)とくっつくための姫(アスカ)
つまり、マリはシンジとアスカのキューピッドだったのではないでしょうか。
アスカとケンスケは関係は?
シン・エヴァではアスカとケンスケの仲が深まっており、二人はカップルなのではないかと大論争を巻き起こしていますが、私はカップルだとは思いません。
シンジは「ガキ(シンジ)に必要なのは恋人じゃなくて母親」と言われている一方でアスカに必要なのは父親でした。ということでケンスケはアスカの中で父親的存在と思っています。
理由は以下です。
・アスカが裸でも全く動揺していない
⇒父であれば娘に欲情しないのは普通です。また、アスカは第9使徒に浸食され、睡眠欲、食欲がなくなっているので、当然性欲もないはずです。だからケンスケとカップルになりようがないのではないでしょうか。
・アスカの親代わりの人形からでてきたのがケンスケ
⇒シンの劇中でアスカの親代わりも果たしていた赤い人形の着ぐるみからでてきたのがケンケンでした。これはまさにケンスケが親の変わりというメタ表現ではないでしょうか。
ユイの正体は?
ユイは第一始祖民族でアダムスの器だったのだと思っています。第一始祖民族とアダムスの器は同じです。つまりユイは神だったということです。理由はゲンドウがユイはゴルゴダオブジェクトから見つけたと言う発言からです。そして、シンジは神の子(神児(シンジ))というわけです。
シンジの目が紫になったのも神(神と呼ばれる第一始祖民族のユイ)とリリン(リリンの王であるゲンドウ)のハーフだからかと思いました。カオルなど人ではなく神に近い人の目の色は赤、昔のアスカなどリリン(ヒト)の目は青のような描写が多いので、赤と青が混ざると紫になります。
劇中の最後も宗教オマージュと考えるとエヴァ初号機にユイ(神)とシンジ(神の子)とレイ(霊)が取り込まれ、キリスト教でいう三位一体の状態となり、全てが神になりました。
三位一体の説で考えれば初号機に宿っている神であるユイと神の子シンジは本質において一つのものなのでシンクロ率が無限大(インフィニティ)なのも納得です。
そしてガイウスの槍で世界を書き換えることで少年は神話になった。ここで残酷な天使のテーゼの歌詞の伏線が回収されます。
大ヒットした主題歌が25年の時を経てラストでの伏線回収です。
なんと鮮やかな伏線回収でしょうか。
シン・エヴァを見終わっての感想
庵野監督がエヴァを開始した当初どこまで考えていたかわかりませんが、様々な考察も含めてエンタメ化しているエヴァンゲリオンは、私の思春期の心に絶大なる影響を与えました。
多感な時期にリアルタイムで見ていたということもありますが、今までで間違いなく一番はまったアニメ。
それが25年の時を経て完結・・・
TV版のエヴァの映像を見ると思春期の頃の感情が今でも思い出されます。
そんなエヴァが完結してしまったということで、言葉で言い表すのが難しいですが、感慨深いと同時に寂しい気持ちです。
エヴァロスということでしょうか。
考察できる楽しみはありますが、やはりまだまだエヴァンゲリオンの世界観、キャラクターで新しい物語が見たい・・・
とりあえず空白の14年間の物語でもいいです。
続編でもいいです。
またエヴァの新しい物語がとにかく見たいです。
この喪失感を埋めてほしい・・・
とりあえずTV版から見直してみますか・・・